2010/12/23

流行り歌 夢と現実 大違い 厠磨いて 美は夢の夢

最近、トイレの神様、という歌が大ヒット。トイレを掃除すれば美人になれるとか?
私はかみさんの代わりトイレの掃除を毎日していますが、かみさんは美人ではありません。
流行と現実は大違いです。

2010/12/14

七夕と 聖夜のコラボ 願い事 伊予の師走に 新名所かな



慌しい師走、週の初めは松山で過ごしています。メインの繁華街、大街道を歩いていると珍しいクリスマスツリーを発見しました。写真で見るかぎり平凡なツリーですが、実は飾りはすべて紙に書かれた願い事、七夕の短冊ののようなものです。星の形をした紙にそれぞれの願いが書かれていました。
七夕とクリスマスの合体です。いかにも日本的な発想ですね。

2010/12/10

車窓より 存在を越えた 伯耆富士 出雲の路へ 今日の佳き日に

伯耆富士といわれる大山

今日は愛媛県松山市から島根県松江市への移動、先週は天候に恵まれなかったけど、今日は良い天気でした。今まで何度も目にした伯耆大山、今日は今までで一番見事な姿を見せてくれました。

2010/12/09

いにしえの 偉人も仰ぐ 白い雲 舞い落ちる紅 待ち受ける白

坂の上の雲
楓と白い花、自然の華道です。
現在NHKで放映中の坂の上の雲、今日は文字通りこの松山で坂の上の雲を拝見しました。秋山兄弟も正岡子規もこのような雲を見たのでしょうか?
使命を終えた紅葉とそれを受け止めた白い花の組み合わせは絶妙の雰囲気を醸し出していました。

2010/12/08

師走空 雲一つなく 晴れ渡り 洋館の風 楓の動き

椿と銀杏のコラボ
綺麗な楓
萬翠荘


本日も愛媛県松山市から、正岡子規や夏目漱石で有名な文学の町ですが、今日は大街道から少し隠れた場所の萬翠荘を紹介します。いろんな場所に句碑が建てられていました。瀟洒な洋館はどんな角度からでも美しく輝いていました。
また、椿と楓のカップルは冬と秋の分岐点のような景色を見せてくれました。

2010/12/04

夜行バス 待つ時の間に 目に入る 聖夜の光 松江の深夜


昨日は、朝、目が覚めたのが四国の徳島、朝一番のバスで一度帰宅して、お昼前から山陰の松江へ移動、天気予報で大荒れの恐れといっていたので、少し早めに出発しました。これが正解で新幹線を初め、在来線も遅れていましたが無事、定刻通り松江に到着。
仕事を終えた後、本日は朝から仕事が入っていたので夜行バスで帰宅しました。夜行バスを待っていると松江の駅前で素敵なクリスマスイルミネーション、残念ながら携帯のカメラの撮影となりあまり上手に撮影は出来ていませんが、淡い光にバスを待つ時間を楽しく過ごすことが出来ました。

2010/12/02

命の樹 艱難辛苦 乗り越えて 阿波の師走で 静寂の時


今日の徳島は、夕方から下り坂と聞いていますが、午前中は良い天気でした。宿泊近くの公園で素晴らしい樹木を発見しました。以前、台風で倒壊したそうですが大きな存在感は暖かい12月の光を浴びて輝いています。樹木の生命力の強さを感じました。

2010/11/30

路地裏や 身近な道の 宝物 明治の香り ロードの誘い

秋山兄弟の生家

愛媛マラソンスタートのプレート

最近、週の初めは愛媛県松山市に来ています。道後温泉、松山城は有名ですが、私にとっては大切な観光地があります。現在、NHKで放送中の坂の上の雲で有名な秋山兄弟誕生の場所、そして何気なく県庁の前の道で見つけた最高の観光地、愛媛マラソンのスタートのプレートです。東京マラソンに比べれば地味なマラソンですが歴史はかれこれ50年近くになります。1992年にボストンマラソン、1993年に指宿菜の花マラソン、2003年に那覇マラソンとかつてはフルマラソンを完走してきた経験からいつかは愛媛マラソンにも参加してみたいものです。

2010/11/27

山陽道 池のほとりの くれないに ただ立ち止まり 極上の時

今日は、島根から岡山への移動、山陰から山陽への旅です。岡山駅から大学まで歩いていると、途中の公園で素晴らしい紅葉に出会いました。池に映える紅葉も素敵です。

2010/11/26

海峡の 鏡の如き 明けの空 眼下のうずしお 今日の始まり

本日は、徳島を早朝に出発して島根県松江市へ向かいます。うずしおで有名な鳴門大橋で日の出を迎えました。

2010/11/25

四十年 思いの通り 空っぽの 世になれ果てた 迎合社会

今日は、三島事件から40年、当時、高校1年生の私は放課後のホームルームで担任の先生から三島由紀夫の死を教えてもらいました。三島由紀夫の思想や哲学の論評は控えますが、私が一番、印象に残っているのは、1970年、当時はどこの大学でも学園紛争真っ盛り、進歩的文化人と称する方が闊歩していた時代に、三島の憂国思想は当時としては極めて少数の考え方でした。
あの時代によくあれだけの言動が出来たと思います。40年の歳月が流れ今の社会を振り返ると、三島の言葉通り、残ったのは空っぽの社会だけ、大衆迎合や他人を気にする社会になってしまいました。いかなる時代も哲学だけは忘れないようにしたいと思います。

2010/11/24

エコカーの 補助金終わり 伊予の旅 迎えてくれた 緑の翼

大阪空港でのボンバルディア機、機体のカラーに注目
無事、松山へ着陸しました

11月終盤も松山へ、いつものボンバルディアと少しカラーが違っていました。エコが当たり前の今日ですが、環境対策は日頃の身近な心がけが大切です。

2010/11/19

遥かなる いにしえの国 美術展 晩秋の伊予 輝く文化

愛媛県美術館

シカン展のチケット
週末は、再び松山。是非とも見たかった愛媛県美術館のシカン展。シカンはペルーにあったインカ帝国のルーツと言われています。わが国は平安時代末期から鎌倉の初期、今から約1000年前のペルーには金属加工などに優れた高い文明を持つ、国家が存在していました。

2010/11/16

黄檗色(きはだいろ) 芸術作品 城下町 紺碧の空 絶妙の技


今日の松山は秋晴れの一日を迎えています。中心地の堀之内公園は長閑な時間が流れていました。久しぶりの撮影日和、晩秋らしく、楓、銀杏も紅葉の時期を与えてくれました。まさに屋根の無い美術館です。

2010/11/11

学び舎に ぼんやり光る 時と星 陰影の妙 阿波の国から


徳島での仕事、校舎の時計は晩秋の空気を見つめていました。遠くに金星が輝いています。仕事の帰りの景色は木々に淡い光が染まり幻想的な光景、最高のご褒美を頂きました。

2010/11/08

学問と 儀式栄えて 道廃れ 本末転倒 世の流れかな

最近書店を覘いてみると「~学」、という書籍が目に付きます。親子学などです。
前向きにものを学ぶことは良いことなので大いに学問で自己研鑽することはいいことだと思います。しかし、あまりにも「~学」氾濫しています。先日も合成麻薬の使用方法という学問が紹介されていました。押尾学と言うそうです。
世の中には学ぶことより慣れることが道を開くものがあります。例えば、面接対策などはそのプロセスを知ることは大切ですが、実際に面接で話をする内容まで学んでいるのは本来の目的から逸脱しています。
また、同様に今までなかったセレモニーが行われています。例えば先日あるテレビは離婚式と言うのを紹介していました。離婚をきっかけにそれぞれ違う人生を歩む第一歩のきっかけにしようと言うのが目的だそうです。実施するしないは、ご両人の判断で結構ですが、世の風潮としてそれを実施する人々が増えてくるとそれ商売とする業者が跋扈する結果となります。
学問も儀式も本来の目的は何なのか?を考えさせられる今日、この頃です。

2010/11/04

虎に勝つ 手ごわい相手 アライグマ ご用心 ご用心

 一休さんといえば頓知の天才、室町幕府3代将軍足利義満が、「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」と訴えたところ、一休は「では捕まえますから虎を屏風絵から出して下さい」と切り返し、義満を感服させた。伝説はあまりも有名な話です。歳月が流れて現在ではその一休さんの肖像画がアライグマによって傷つけられてしまった。と言うニュースが流れていました。虎より強い一休もアライグマには勝てなかったようです。

2010/11/03

文化の日 時には童話 夢を見て やがて恐ろし 浮世の世界

今日は文化の日、写真はお休みを貰って、2年目にある雑誌の掲載したブラック童話紹介します。

イルカとサメ

広い海の底でサメとイルカが出会いました。
サメはイルカに問いかけました。「イルカ君。どうして君は人気者なんだ。僕たちは泳いでいる時の姿はそんなに変わらないのに、僕は人間にすごく嫌われている。でも、君はいつも人気者、羨ましいよ。何か人間に好かれる秘訣があれば教えてよ。」
イルカは答えました。「そんなもの何もないよ。ただ、人間が勝手に僕たちを可愛がってくれているだけだよ。」サメは一言「いいな」そして続けました。「僕たちは人間を食べるから悪者扱いされているけど、そんな連中はごく一部なんだ。ほとんどの仲間は人間を恐れて彼らには近づかないよ。そういえばこの前、僕の友人で可愛そうな奴がいたよ。彼は怖がりだから絶対人間には近づかないタイプだけど、サメのくせに泳ぎが下手なため、たまたま浅瀬に迷い込んだら、そこが海水浴場で人間が沢山集まっていた。大騒ぎになって人間に捕まり、殴られ、ボコボコにされて最後はクレーンで吊り下げられてさらし者になってしまった。本当に優しくて良い奴だったのに可哀相だったよ。」
その話を聞いたイルカが言いました。「それは本当に気の毒な話だなぁ。」「僕たちは人間に愛されているけど、人間に愛されている連中ほどイルカ仲間から評判の悪い奴がいるよ。この前も、僕たちの仲間から総スカンをくっている年寄りで、頑固なイルカが老人ホームに入ることが出来なかったので仕方なく浅瀬で餌を探していたら引き潮のため浅瀬に乗り上げてしまった。すると人間たちは大騒ぎ、その地域の村人全員でその老イルカを助けたんだ。ところがこの老イルカはそのことをいい事に生活が出来なくなったら人間たちのいる場所に通うようになったんだ。また、人間も凝りもせずに何度も何度も彼を助けてくれたんだ。この前なんかは、以前オリンピックで活躍した綺麗なお姉さんが一緒になって泳いでくれたり、キスまでしてくれた、と自慢していたよ。」
「ふーん、そんなものなのか。君たちにもいろんな仲間がいるんだなぁ?」サメはイルカの話に妙に納得し、ではまたと二人は別れました。

そして何日経った或る日、サメのリーダーは仲間を集めてこう話しました。「いいかみんな、これからはどんなことがあっても人間を襲ったりしないようにしてくれ、俺たちは俺たちの領域で分相応に生きていけばいい、俺たちサメだけではなくイルカ君もそれなりに悩みはあるみたいだ、だから、俺たちはサメらしく生きていこう。」仲間も大賛成です。
ところが、そのサメのリーダーの呼びかけから暫くしてある嵐の夜、多くの人間を乗せた船が沈没しました。そして多くの人間たちが大海原に投げ出されました。しかしサメたちはリーダーの話を忠実に守り決して人間を食べようとはしませんでした。ところが、この嵐の中サメの餌もほとんどなくなっていました。そのうちサメの一人が、「リーダー、今は100年に一回と言われる食糧難の時代です。ここに放り出された人間たちは神様が俺たちに恵んでくれたものではないでしょうか?このまま食べずにいたら俺たちは全員飢え死にしてしまいます。ここは人間を頂いても罰はあたらないのではないでしょうか?」
リーダーは熟考しました。そして、決断しました。「よし分かった、人様を頂くことは俺たちの本意ではないけど、ここは非常事態だ、やむを得ない、今回だけは人間様を頂こう。」ほどなくして大海原に放り出された人間は全員サメの餌になってしまいました。船の残骸以外何も残っていません。ただ残ったのは船の名前を記した一枚のプレートだけです。そのプレートには船の名前の下に、(この船は只今、死刑囚移送中)と書かれてありました。実はこの船、人間社会で殺人、強姦、強盗と極悪の限りを尽くした罪人たちをある島で公開処刑するために死刑囚を搬送していた船でした。彼らはいずれ死刑となる囚人ばかりそれも人としての心のかけらもない極悪人たちでした。サメはそんな極悪人を食べてしまったのです。

一方、イルカの間では妙な噂が広がっていました。先程の人間の好意に味をしめた嫌われ者の老イルカが言わないでいい事を吹聴していました。「人間社会はありがたいぞ、俺たちみたいな嫌われ者を大切にしてくれる。食べ物は食べきれないほど与えてくれるし、浅瀬に乗り上げて泳げなくなったら沖合いまで連れて行ってくれる。どうだ、どうせイルカ仲間から嫌われている俺たち年寄りで人間のご好意に甘えに行かないか?」それを聞いた老イルカの仲間たちは「俺も、俺も、とその数はあっという間に50~60人くらいになりました。」イルカの若きリーダーは「あなたたちは人の好意に甘えるのはいい加減にしたらどうだ。イルカはイルカらしく大海原を生きることが正しい生き様ではないのか。」老イルカは語気を荒げて言いました。「何を馬鹿なことを言ってるんだ、俺たちはイルカ社会の嫌われ者どこにいっても鼻つまみ者、だったらご親切な人間にお世話になるほか生きる道はないんだよ。お前らみたいな若造に何がわかる。オイ、みんな人間ご好意に甘えにいこうぜ。」言い終わるや否や老イルカは人間の住む小さな漁村へ仲間とともに出かけていきました。次の日、小さな漁村は大変な騒ぎになっていました。大量のイルカが浅瀬に座礁、このニュースを聞いた人間たちは全国からこの小さな漁村にやってきました。「イルカを救おう」を合言葉に何百人という人間がイルカ救済に駆けつけました。中にはかつてオリンピックで活躍した女性水泳選手やイルカ保護のNPOを立ち上げた女優も参加しました。お陰で老イルカたちは豪華な料理を頂き、最後は綺麗な女性と手を繋ぎ沖合いへ帰っていきました。舞台となった漁村はその後、このイルカ騒ぎの費用を捻出するのに苦しめられるようになり、財政破綻で漁村はゴーストタウンとなってしまいました。
死刑囚を食べてしまったサメは今でも嫌われ者です。
小さな漁村を壊してしまったイルカは今でも人気者です。

サメとイルカは泳いでいる時はよく似ています。でも、片方は嫌われ者、一方は人気者、人間もよく似ているが嫌われ者と人気者がいます。でも、嫌われ者でも時にはいいこともします。人気者も人に不快を与えることもあります。

2010/11/02

霜月に 庭園巡り 良き時代 武蔵野の魚 帰り富士かな 

庭園の池で優雅に泳ぐ鯉

古き武蔵野の面影が残る家屋

復路の富士山

昨日、訪れた殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園、昔の武蔵野の名残がいっぱいです。大岡昇平の「武蔵野夫人」の一節が聞こえてきます。復路の新幹線では往路と同様、美しい富士山を見ることが出来ました。

2010/11/01

晴れ男 東路の旅 富士の峰 

新幹線から見た富士山

今日は、久しぶりに東路への旅、先週は台風の中、沖縄→関西→四国の移動でしたが、一度も傘のお世話にならずにすみました。私自身の唯一誇れる、天候運のおかげです。
関東地方も今朝までの大雨が嘘のように晴れていました。途中、富士山が迎えてくれました。

2010/10/30

いつかまた どこかの空で 会いましょう 赤い翼の ラストフライト

夜間の撮影で手振れとなりました松山発最後の大阪便です。
最後の案内
お渡ししたメッセージ
今日は、松山からの帰宅、いつもは17時頃の飛行機を利用しますが、本日は仕事の都合で日本航空の19時35分の便でした。実はこの便、松山~大阪の日本航空、最後の飛行となりました。日本航空の再建のために松山~大阪便は廃止になります。この便は私自身仕事で何度もお世話になりましたが、記念となる最後の翼に乗ることになりました。
お世話になった思いを簡単なメッセージとして乗務員の方に渡しました。

2010/10/29

嵐の日 海峡大橋 飛び越えて 鳥鳴き染まる 伊予の夕暮れ


今日は台風の接近で、大変な移動になると思っていました。しかし、順調に愛媛県松山市へ到着しました。写真は大学校内から美しい夕暮れです。

2010/10/25

おすそ分け 夏の名残に 輝いて 沖縄の夜 紅のさざなみ


本土は、明日からかなり寒くなりそうですが、ここ沖縄は夏真っ盛りという感じです。仕事の後、校内で見かけた紅色の花、淡い光の輝きが10月の夏をプレゼントしてくれました。

2010/10/23

温暖化 緑の壁の 美しさ 彩り運ぶ 朝の花束


週末は、愛媛県松山市でした。愛媛大学校内で見かけた緑のカーテン、朝は花が咲いて、美しい環境対策を拝見しました。私は美的なもの価値観を求めるのでこのような環境対策は大歓迎です。

2010/10/19

本土では 熊出没に ご用心 南の国の 未知との出会い 

大学校内での看板

沖縄らしい樹木

10月の沖縄は雨模様です。大学校内にはご覧のような看板が設置されています。実際にお目にかかったことはありませんが、本土では熊が出没と報道されています。自然との共生は大変です。

2010/10/16

内海に 沈む光の 美しさ 名残の飛行 僅かな時間

松山空港を離陸して出会った瀬戸内海の夕日です。いつも利用している、日本航空の松山~大阪便は10月末で終了です。この美しい夕日の景色も残り僅かになりました。

2010/10/15

歳月は 流れ流れて ひとむかし 名城との 初対面かな 

城下の公園から見た松山城、一輪の紅葉が隠し味です。

初めて間近で見た松山城
愛媛県松山市といえば、松山城、かれこれ松山市には10年来、お世話になっていますが、松山城をこんなに近くで見たのは今日が初めて。いつもは下から見上げているお城も近くで見ると全く違った雰囲気があります。

2010/10/11

昼下がり 美味し紅茶と 戯れて 彼方に聞こえる 神無月の音

連休は文字通り午後の紅茶を頂いています。私はコーヒーより紅茶派なので好みの紅茶を三宮近くの専門店で購入しています。また、2年前に旅したフィンランド土産のマグカップは好みの紅茶のパートナーです。のんびり時間を過ごしていると遠くで秋祭りの音色が聞こえてきました。

2010/10/05

阿波の国 仕事の終わり 帰り道 水面に映える 数寄屋橋かな


今日は、半年ぶりに徳島での仕事でした。10月からは夜の講座が多いので帰りが遅くなります。しかし、昼間では見ることの出来ない光景にお目にかかりました。徳島城内の数寄屋橋です。淡いライトアップが幻想的な光景を提供してくれました。

2010/10/03

雨だれに 誘われ緑 目にとまり 休日の午後 フォトチャンス


日曜日、お昼から強い雨になりました。こんな日は趣味のぼ~ingで過ごします。ぼ~ingとは一日中何もせずにぼんやり過ごすことです。私は日本ぼ~ing協会の会長を拝命しています。といっても会員は私一人なので会長という名のニックネームのようなものです。
強い雨の降る中、外に目をやると雨粒が緑の葉っぱを濡らしていました。

2010/10/02

晴れの国 公園抜けて 廻りあい 兵の夢 華燭の典

旧陸軍の建物、今日は結婚式が行われていました。
鶏頭・ケイトウの名前の通りの花
路地裏で見つけた名も無い花、名も無い花に光を与えるのが私の仕事です。

今日は日帰りで、岡山での仕事、昼間天気が良いので、岡山駅から大学まで歩いて通勤です。
途中、総合公園の中を歩いていると旧陸軍の趣のある建物と出会いました。今は多目的に使用されているようですが、今日はここで結婚式が行われるということでした。
かつての軍の建物が若い人の幸せの場に変わることを公園の花たちは祝福していました。

2010/10/01

業平も 歩んだ小路 わが住い 月の初めの 長閑な時間

今日は、久しぶりにオフ。自宅近くを散策の時間でした。伊勢物語の主人公、在原業平に由来する業平町のある芦屋川付近は初秋らしいのんびりとした時間が流れていました。

2010/09/30

学び舎で 健気に語る 彼岸花 岡山の朝 光る潤い

大学校内の彼岸花

9月の終わりは日帰りで岡山出張、大学校内で見つけた彼岸花、この季節、田んぼのあぜ道でよく見かける花ですが、大学の校内でここに咲いている、と朝の挨拶をしている様子でした。月末は雨の一日でしたが紅色の花にほどよい雨が戯れていました。