2010/11/30

路地裏や 身近な道の 宝物 明治の香り ロードの誘い

秋山兄弟の生家

愛媛マラソンスタートのプレート

最近、週の初めは愛媛県松山市に来ています。道後温泉、松山城は有名ですが、私にとっては大切な観光地があります。現在、NHKで放送中の坂の上の雲で有名な秋山兄弟誕生の場所、そして何気なく県庁の前の道で見つけた最高の観光地、愛媛マラソンのスタートのプレートです。東京マラソンに比べれば地味なマラソンですが歴史はかれこれ50年近くになります。1992年にボストンマラソン、1993年に指宿菜の花マラソン、2003年に那覇マラソンとかつてはフルマラソンを完走してきた経験からいつかは愛媛マラソンにも参加してみたいものです。

2010/11/27

山陽道 池のほとりの くれないに ただ立ち止まり 極上の時

今日は、島根から岡山への移動、山陰から山陽への旅です。岡山駅から大学まで歩いていると、途中の公園で素晴らしい紅葉に出会いました。池に映える紅葉も素敵です。

2010/11/26

海峡の 鏡の如き 明けの空 眼下のうずしお 今日の始まり

本日は、徳島を早朝に出発して島根県松江市へ向かいます。うずしおで有名な鳴門大橋で日の出を迎えました。

2010/11/25

四十年 思いの通り 空っぽの 世になれ果てた 迎合社会

今日は、三島事件から40年、当時、高校1年生の私は放課後のホームルームで担任の先生から三島由紀夫の死を教えてもらいました。三島由紀夫の思想や哲学の論評は控えますが、私が一番、印象に残っているのは、1970年、当時はどこの大学でも学園紛争真っ盛り、進歩的文化人と称する方が闊歩していた時代に、三島の憂国思想は当時としては極めて少数の考え方でした。
あの時代によくあれだけの言動が出来たと思います。40年の歳月が流れ今の社会を振り返ると、三島の言葉通り、残ったのは空っぽの社会だけ、大衆迎合や他人を気にする社会になってしまいました。いかなる時代も哲学だけは忘れないようにしたいと思います。

2010/11/24

エコカーの 補助金終わり 伊予の旅 迎えてくれた 緑の翼

大阪空港でのボンバルディア機、機体のカラーに注目
無事、松山へ着陸しました

11月終盤も松山へ、いつものボンバルディアと少しカラーが違っていました。エコが当たり前の今日ですが、環境対策は日頃の身近な心がけが大切です。

2010/11/19

遥かなる いにしえの国 美術展 晩秋の伊予 輝く文化

愛媛県美術館

シカン展のチケット
週末は、再び松山。是非とも見たかった愛媛県美術館のシカン展。シカンはペルーにあったインカ帝国のルーツと言われています。わが国は平安時代末期から鎌倉の初期、今から約1000年前のペルーには金属加工などに優れた高い文明を持つ、国家が存在していました。

2010/11/16

黄檗色(きはだいろ) 芸術作品 城下町 紺碧の空 絶妙の技


今日の松山は秋晴れの一日を迎えています。中心地の堀之内公園は長閑な時間が流れていました。久しぶりの撮影日和、晩秋らしく、楓、銀杏も紅葉の時期を与えてくれました。まさに屋根の無い美術館です。

2010/11/11

学び舎に ぼんやり光る 時と星 陰影の妙 阿波の国から


徳島での仕事、校舎の時計は晩秋の空気を見つめていました。遠くに金星が輝いています。仕事の帰りの景色は木々に淡い光が染まり幻想的な光景、最高のご褒美を頂きました。

2010/11/08

学問と 儀式栄えて 道廃れ 本末転倒 世の流れかな

最近書店を覘いてみると「~学」、という書籍が目に付きます。親子学などです。
前向きにものを学ぶことは良いことなので大いに学問で自己研鑽することはいいことだと思います。しかし、あまりにも「~学」氾濫しています。先日も合成麻薬の使用方法という学問が紹介されていました。押尾学と言うそうです。
世の中には学ぶことより慣れることが道を開くものがあります。例えば、面接対策などはそのプロセスを知ることは大切ですが、実際に面接で話をする内容まで学んでいるのは本来の目的から逸脱しています。
また、同様に今までなかったセレモニーが行われています。例えば先日あるテレビは離婚式と言うのを紹介していました。離婚をきっかけにそれぞれ違う人生を歩む第一歩のきっかけにしようと言うのが目的だそうです。実施するしないは、ご両人の判断で結構ですが、世の風潮としてそれを実施する人々が増えてくるとそれ商売とする業者が跋扈する結果となります。
学問も儀式も本来の目的は何なのか?を考えさせられる今日、この頃です。

2010/11/04

虎に勝つ 手ごわい相手 アライグマ ご用心 ご用心

 一休さんといえば頓知の天才、室町幕府3代将軍足利義満が、「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」と訴えたところ、一休は「では捕まえますから虎を屏風絵から出して下さい」と切り返し、義満を感服させた。伝説はあまりも有名な話です。歳月が流れて現在ではその一休さんの肖像画がアライグマによって傷つけられてしまった。と言うニュースが流れていました。虎より強い一休もアライグマには勝てなかったようです。

2010/11/03

文化の日 時には童話 夢を見て やがて恐ろし 浮世の世界

今日は文化の日、写真はお休みを貰って、2年目にある雑誌の掲載したブラック童話紹介します。

イルカとサメ

広い海の底でサメとイルカが出会いました。
サメはイルカに問いかけました。「イルカ君。どうして君は人気者なんだ。僕たちは泳いでいる時の姿はそんなに変わらないのに、僕は人間にすごく嫌われている。でも、君はいつも人気者、羨ましいよ。何か人間に好かれる秘訣があれば教えてよ。」
イルカは答えました。「そんなもの何もないよ。ただ、人間が勝手に僕たちを可愛がってくれているだけだよ。」サメは一言「いいな」そして続けました。「僕たちは人間を食べるから悪者扱いされているけど、そんな連中はごく一部なんだ。ほとんどの仲間は人間を恐れて彼らには近づかないよ。そういえばこの前、僕の友人で可愛そうな奴がいたよ。彼は怖がりだから絶対人間には近づかないタイプだけど、サメのくせに泳ぎが下手なため、たまたま浅瀬に迷い込んだら、そこが海水浴場で人間が沢山集まっていた。大騒ぎになって人間に捕まり、殴られ、ボコボコにされて最後はクレーンで吊り下げられてさらし者になってしまった。本当に優しくて良い奴だったのに可哀相だったよ。」
その話を聞いたイルカが言いました。「それは本当に気の毒な話だなぁ。」「僕たちは人間に愛されているけど、人間に愛されている連中ほどイルカ仲間から評判の悪い奴がいるよ。この前も、僕たちの仲間から総スカンをくっている年寄りで、頑固なイルカが老人ホームに入ることが出来なかったので仕方なく浅瀬で餌を探していたら引き潮のため浅瀬に乗り上げてしまった。すると人間たちは大騒ぎ、その地域の村人全員でその老イルカを助けたんだ。ところがこの老イルカはそのことをいい事に生活が出来なくなったら人間たちのいる場所に通うようになったんだ。また、人間も凝りもせずに何度も何度も彼を助けてくれたんだ。この前なんかは、以前オリンピックで活躍した綺麗なお姉さんが一緒になって泳いでくれたり、キスまでしてくれた、と自慢していたよ。」
「ふーん、そんなものなのか。君たちにもいろんな仲間がいるんだなぁ?」サメはイルカの話に妙に納得し、ではまたと二人は別れました。

そして何日経った或る日、サメのリーダーは仲間を集めてこう話しました。「いいかみんな、これからはどんなことがあっても人間を襲ったりしないようにしてくれ、俺たちは俺たちの領域で分相応に生きていけばいい、俺たちサメだけではなくイルカ君もそれなりに悩みはあるみたいだ、だから、俺たちはサメらしく生きていこう。」仲間も大賛成です。
ところが、そのサメのリーダーの呼びかけから暫くしてある嵐の夜、多くの人間を乗せた船が沈没しました。そして多くの人間たちが大海原に投げ出されました。しかしサメたちはリーダーの話を忠実に守り決して人間を食べようとはしませんでした。ところが、この嵐の中サメの餌もほとんどなくなっていました。そのうちサメの一人が、「リーダー、今は100年に一回と言われる食糧難の時代です。ここに放り出された人間たちは神様が俺たちに恵んでくれたものではないでしょうか?このまま食べずにいたら俺たちは全員飢え死にしてしまいます。ここは人間を頂いても罰はあたらないのではないでしょうか?」
リーダーは熟考しました。そして、決断しました。「よし分かった、人様を頂くことは俺たちの本意ではないけど、ここは非常事態だ、やむを得ない、今回だけは人間様を頂こう。」ほどなくして大海原に放り出された人間は全員サメの餌になってしまいました。船の残骸以外何も残っていません。ただ残ったのは船の名前を記した一枚のプレートだけです。そのプレートには船の名前の下に、(この船は只今、死刑囚移送中)と書かれてありました。実はこの船、人間社会で殺人、強姦、強盗と極悪の限りを尽くした罪人たちをある島で公開処刑するために死刑囚を搬送していた船でした。彼らはいずれ死刑となる囚人ばかりそれも人としての心のかけらもない極悪人たちでした。サメはそんな極悪人を食べてしまったのです。

一方、イルカの間では妙な噂が広がっていました。先程の人間の好意に味をしめた嫌われ者の老イルカが言わないでいい事を吹聴していました。「人間社会はありがたいぞ、俺たちみたいな嫌われ者を大切にしてくれる。食べ物は食べきれないほど与えてくれるし、浅瀬に乗り上げて泳げなくなったら沖合いまで連れて行ってくれる。どうだ、どうせイルカ仲間から嫌われている俺たち年寄りで人間のご好意に甘えに行かないか?」それを聞いた老イルカの仲間たちは「俺も、俺も、とその数はあっという間に50~60人くらいになりました。」イルカの若きリーダーは「あなたたちは人の好意に甘えるのはいい加減にしたらどうだ。イルカはイルカらしく大海原を生きることが正しい生き様ではないのか。」老イルカは語気を荒げて言いました。「何を馬鹿なことを言ってるんだ、俺たちはイルカ社会の嫌われ者どこにいっても鼻つまみ者、だったらご親切な人間にお世話になるほか生きる道はないんだよ。お前らみたいな若造に何がわかる。オイ、みんな人間ご好意に甘えにいこうぜ。」言い終わるや否や老イルカは人間の住む小さな漁村へ仲間とともに出かけていきました。次の日、小さな漁村は大変な騒ぎになっていました。大量のイルカが浅瀬に座礁、このニュースを聞いた人間たちは全国からこの小さな漁村にやってきました。「イルカを救おう」を合言葉に何百人という人間がイルカ救済に駆けつけました。中にはかつてオリンピックで活躍した女性水泳選手やイルカ保護のNPOを立ち上げた女優も参加しました。お陰で老イルカたちは豪華な料理を頂き、最後は綺麗な女性と手を繋ぎ沖合いへ帰っていきました。舞台となった漁村はその後、このイルカ騒ぎの費用を捻出するのに苦しめられるようになり、財政破綻で漁村はゴーストタウンとなってしまいました。
死刑囚を食べてしまったサメは今でも嫌われ者です。
小さな漁村を壊してしまったイルカは今でも人気者です。

サメとイルカは泳いでいる時はよく似ています。でも、片方は嫌われ者、一方は人気者、人間もよく似ているが嫌われ者と人気者がいます。でも、嫌われ者でも時にはいいこともします。人気者も人に不快を与えることもあります。

2010/11/02

霜月に 庭園巡り 良き時代 武蔵野の魚 帰り富士かな 

庭園の池で優雅に泳ぐ鯉

古き武蔵野の面影が残る家屋

復路の富士山

昨日、訪れた殿ヶ谷戸(とのがやと)庭園、昔の武蔵野の名残がいっぱいです。大岡昇平の「武蔵野夫人」の一節が聞こえてきます。復路の新幹線では往路と同様、美しい富士山を見ることが出来ました。

2010/11/01

晴れ男 東路の旅 富士の峰 

新幹線から見た富士山

今日は、久しぶりに東路への旅、先週は台風の中、沖縄→関西→四国の移動でしたが、一度も傘のお世話にならずにすみました。私自身の唯一誇れる、天候運のおかげです。
関東地方も今朝までの大雨が嘘のように晴れていました。途中、富士山が迎えてくれました。