2008/08/27

勝つだけで 敗者の美学 死語となり

オリンピック選手団の解団式も終わり、北京オリンピックは終わりました。世間ではメダルの数、期待通りの活躍、期待倒れと話題は事欠きません。私は終わった事をとやかく言うのが嫌いなので、評論や総括はそれなりの専門家にお任せするとして、このオリンピックから感じたこと一つだけ紹介したいと思います。

それは各競技とも共通して見られたのですが、日本の勝者の態度が随分変わってきたなと感じました。メダルを取った日本人選手のほとんどが歓喜に沸きかえったいました。もちろんメダルを取るまでの苦闘を考えるとその気持ちはよく分かります。しかし、勝者の影に敗者ありというのは勝負事の常。特に柔道などは礼を重んじるスポーツと言われるなら、敗者に一礼した後で、自分の喜びを爆発させても良かったのではないでしょうか?1964年東京オリンピックの無差別級で優勝したヘーシンクが優勝した瞬間、彼に近づいてきたファンを制して、相手との礼を終えた後、喜びの表情になりました。今の柔道は「柔道」でない、「JUDO」だという人がいます。もちろん一本での勝負が減ってきているのでそういう意見もよく分かります。しかし、勝負は時の運、敗者へのいたわりと言うのはかつての日本人なら誰もが持っていた感性ではないでしょうか?

勝って驕らず、敗れても憂わず、戦いが終われば勝負に関係なく相手を讃える、日本の美学とはどこにいってしまったのでしょうか?

メダルの輝きより戦う者としてのマナーや礼儀、オリンピックも見方を変えると興味深い発見が見つかります。

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